スポーツ

ゴールへの到達や障害物を乗り越えるといった目的を達成するための運動選手間の競争。このようなスポーツは文化によって、スポーツの定義には違いがあります。スポーツと、それをプレイすること、トーナメント、そして大会の関係性を説明する意味が最も重要です。Carl Diemは、「遊び(プレイ)」とは、「仕事の真逆の意味である」と記しました。

人間は行かなくてはならないので仕事へ行き、遊びたいので遊びます。遊ぶことは自己目的主義的であり、それは遊ぶことに独自の目的があるということを意味します。それは完全に任意のものであり、強制されることはありません。親や教師に強制されてサッカーの試合に参加することを拒む子供は、スポーツに参加しているとは言えません。プロのアスリートにおいても、その動機が金銭的な利益のためだけなのであれば、同じことが言えるのではないでしょうか。

現実では、動機はしばしば不明瞭であり、確かめることが難しい場合もあります。しかしながら、何が遊びで何がそうでないのかを現実的に決めるのには明白な概念が必要です。

ゲームは少なくとも2種類に分類されます。1つ目は気ままで行き当たりばったりのものです。いくつか例を挙げます。子供が平たい石を見つけ、それらを集め、そして池の水面をはねるように投げる、または、冗談を言った大人が、偶然ダジャレを言ったことを発見する、などです。

どちらの行為も予め計画されたものではなく、どちらも少しも規制がありませんよね。さて、2つ目の遊びの形式は統制されたものです。どの行為がルールに則っているか、または違反しているかを統治します。これらのルールは行き当たりばったりの遊びをゲームに変え、したがってそれらは規則に縛られたもしくは監督された遊びと分類されるのです。

馬跳び、チェス、ままごと、そしてバスケットボールはゲームであり、ルールが簡単なものもあれば、より複雑な一連のルールがあるものもあります。実際に、スポーツの規則集は何百ページにも及ぶことがあります。

チェスやバスケットボールは馬跳びやままごととは明らかに違います。最初の2つは競争を伴うものですが、後の2つはそうではありません。バスケットボールの試合には勝敗がつきますが、馬跳びにおいては誰が勝ったかを考えるのは馬鹿げています。言い換えると、チェスもバスケットボールもどちらも競争なのです。 

最終的な区別により、競争は2種類に分かれます。それは特定の水準の運動能力を要するものとそうではないものです。前者に関して、シャッフルボードが良い例で、後者に関してはスクラブルやモノポリーなどのボードゲームによって十分に明示することができます。

必然的に、重量挙げのような最も基本的な活動はある程度精神力を必要とする一方で、その他、野球のようなものは、かなりの力を必要とするのかもしれません。選手および観客の両者において、人類の興味を最も惹きつけたスポーツは、シャッフルボードの対決よりもはるかに高い運動神経と精神力を必要とすることにも注目するべきです。スポーツがいつ始まったのかを知る人はいません。子供たちの遊びには常にスポーツが盛り込まれてきたことは明確ですが、大人のための自己目的主義の競争としてのスポーツの出現はいつ始まったのでしょうか。